表現者として。

ftomivec2006-09-04


「『表現者として』


万人のハートを軽くなでるのではなく、
ひとりのハートに、ぐさりと突き刺さる表現がしたい。

顔の見えない大勢に向かって、受け取りやすいスローボールを投げるより、
そこにいるアナタに向けて、まっすぐな剛速球を投げたい。

普遍的な作品を創り上げミリオンセラーを飛ばしたい、という欲求は当然あるが、
コムロのような普遍性ではなく、レノンのような普遍性を求めたい。

「ひとり」に対する深く強烈なオモイをつきつめることでたどり着いた「ココロの奥のほうにあるアッタカイモノ」で、多くの人とつながりたい。

人間のココロに棲んでいるアッタカイモノだけは、
今も昔も、東洋も西洋も、本質的には変わらないと思うから。


(高橋歩著 LOVE&FREE〜世界の路上に落ちていた言葉)より」



普段あんまり本とかは読まないんですけど、これはこないだの旅の途中で買った本で旅や人生について書いてあって、すごい共感できる内容だったんですよね。

その中で、読んでいて旅や人生についてではなくて、真っ先に「なっち」が頭によぎったのが今紹介した1文です。



仮になっちがこの文を読んだとしたらどう考えてるんだろう?

表現者として共感できる部分や相違する部分があるかもしれない。


でも、

少なくても自分のココロにはまっすぐな剛速球が届いてる。

表現の仕方は千差万別かもしれないけど、やっぱり根本にあるものはみんな一緒だ。


そんなコトを色々と考えさせられたんで、ここでも紹介してみました(^^)